信頼するということ

「信頼」というのは、

なかなかに難しいものなのかもしれません。

ほわーっと温かいイメージがありますが、

実は、とても主体的で、

能動的なものなのかなと思うのです。

信頼という言葉を使う時、

信頼する対象があります。

私が「何か」を信頼できている時は、

わかりにくいのですが、

たとえば、

こんなことがあったらどうでしょうか。

夫と結婚する前につきあっていた人と、

不倫関係だった。

現在、夫とはうまくいっているが、

ずっとそのことを隠しているのが心苦しい。

あまりにも苦しいので、

夫に全部話してしまいたい衝動に駆られる。

でも言ってしまったら、

夫は私を許さないにちがいない。

この関係を壊したくないのに。

隠していることが、

夫を裏切っていることになっていると

黙っておけばいいという選択肢が

なくなってしまったりします。

いけないことをした私は、

罰を受けるべき。

だから、すっかり話してしまって、

罰を受けるしかない。

一番大切なものを失うような罰を。

しかし、ここで、

罰を受けることにばかり気を取られていると、

そんなに大切に思っている夫について

見誤ってしまうのです。

「夫は、私を罰するにちがいない」

果たして、そうなんでしょうか。

そうじゃないとは言い切れませんが、

そうであるとも言い切れないのではないでしょうか。

私の中では、罰せられるに価すると思っていても、

夫にとっては、違う想いがあるはずで、

こんな時「信頼する」という言葉が浮かぶのです。

私が見込んだ夫を信頼する。

きっと理解してくれる。

虫がいいと思うかもしれません。

だから、望めないのです。

でも、それは、夫のことを

信頼していないどころか、

器の小さい、私を理解しない人と位置づけ、

私を裁く人にしたり、加害者扱いしたり、

しようとしているのではないでしょうか。

「信頼してみよう」

これは、自分だけを見てしまう、

自意識の世界を抜けたところにあるもの。

「信頼」というのは、

そうやって相手のことを

見てみようとしなければできない

主体的で、

能動的なものなのだと思います。

池尾千里

 

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美味しい中華料理やさんで食べました。熱うまー!

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