自分が空っぽだと感じるとき

1月から、春休みだと言っていた大学生の娘。

今日は、身体測定だからと、朝から学校へ出かけて行きました。

春休みなのに、体重測りに学校行くなんて、なんだか可哀想な気がする、池尾千里です、はい、こんにちは。

 

 

春を迎える頃になると、もともと居た場所から、新しいステージへ歩き出す人たちを、たくさんお見かけするようになりますよね。新入生、新社会人、ピカピカしてるから、すぐわかります。

 

新しい制服や、スーツが輝いているのもそうですが、それだけでなく、希望を抱いていることが、彼らを輝かせているんじゃないかなと思います。

 

そんな人たちを見ていると、微笑ましい気持ちになったり、自分のことを思い出して、懐かしくなったりする方もいらっしゃると思います。

 

一方で、モヤモヤとした嫌な気持ちが出てくる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

彼らは、ひとつのステージを終え、必要なものを携えて、希望ややる気に満ちていて、新しいステージへと歩き出そうとしている。

でも、自分には、そのどれもないような気がする。

 

何も成し遂げていないし、何も持っていない、気力も湧かない、そんな自分は空っぽだと感じてしまう。そんな気持ちになるのは、気分の良いものではありませんね。

 

今日は、この空っぽな感じについて、書いてみようと思います。

 

何も持っていない、空っぽな自分とは

 

その感覚は、いったいどこからくるのでしょう。

 

みなさんは、生誕何周年でしょうか。

生まれたばかりの方は、ここにはいらっしゃらないと思いますので、何十年か生きてこられた歴史がありますよね。ここに、何もないということは、ありえないのですが、何もない感じがする。手には何も持っていなくて、ここまで来てしまったような感じがする。

ざわざわと焦り始めてしまったり、ひどくがっかりしたり、呆然とするような気持ちになったりされる方もいらっしゃるかもしれません。

 

そんな時、私たちは、比較の中にいることが多いです。競争という言い方ができることもあります。その比較と競争で、自分は負けているとか、劣っていると感じている時に、この空っぽな感覚が出てるんです。

 

言い換えると、自分のことや、自分の歩いてきた時間を、正しく見ているわけではなく、どこかの誰かの中に、りっぱに成し遂げたものを見たり、みなぎるモチベーションを見たりすることで、自分との比較が起こり、その瞬間に、あれは自分にはない、あれには敵わない、負けたといった感覚になり、結果、自分は空っぽだと着地してしまうのですね。

 

ここで、ちゃんと見ると良いのは、どこかの誰かではなくて、ご自身です。

 

でも、私たちは、自分のことをついきびしく見がちです。採点がきびしいので、良い点をあげられていません。すると、比較が起こった時に、すぐ負けてしまうんですよね。

でも、きびしすぎるだけで、本当はいろんな良いところがあるのです。

 

誤解を解くための人生の棚卸し

 

私たちは、自分に対して、正しい見方ができていないことが多く、ちっぽけにあつかうということが起こりやすいです。そんなふうに、誤解をしたまま、がっかりし続けていては、つまらないですよね。

 

この誤解を解くために、ご自分の持っているものを、一度整理してみてはいかがでしょうか。

商品をあつかっているお店が、在庫チェックする「棚卸し」を、ご自身の人生に起こったことでやってみるんです。

でも、いきなり、長い人生に向き合うのは大変ですから、項目に分けてみてもいいかもしれません。

 

 

◯仕事に関するもの(職歴・資格・キャリアなど)

◯学生時代の経験(習い事・ボランティア経験・旅行・留学・学習など)

◯人間関係に関するもの(家族・パートナー・友人知人・ビジネスパートナー・地域・コミュニティなど)

◯ライフスタイル(住環境・趣味・健康・経済状況・習慣など)

 

 

または、現在から、時系列にさかのぼってみたり、学生時代や、社会人になってから、これまでのことを思い出してみたりするのも、記憶をたどるにはいいかもしれません。

 

あまり、完璧にやろうとするのではなく、

 

「あ、こんなのあった!」

「こんなのみつけた!」

 

みたいにやってみていただくといいと思います。「あるもの探し」と思いながらやってみていただくと、オリジナリティ満載の棚卸しができると思いますよ。

 

「持っている」のと「受け取っている」

 

心理学的にいうと、「持っている」のと「受け取っている」のは、ちょっとちがうんです。いや、ちょっとじゃなくて、だいぶちがいます。

 

例えば、お友だちが、あなたにこう言いました。

 

「いつもやさしいね。」

 

あなたは、こう思いました。

友だちにやさしくするなんて、あたりまえのことじゃん、あらたまって何言ってるんだろうって。だから、あなたは「そう?」なんて、とぼけて、別の話題にうつってしまいました。

 

「あたりまえ」って、無関心ともいうんですよね。

ちょっと大袈裟にいうと、あなたは、自分の中の「やさしさ」というものが、あたりまえすぎて、無関心になっていたんです。だから、お友だちの言葉も、興味が湧かないというか、何も感じないということが起こったんです。

 

「やさしさ」を持っているのに、受け取っていないというのは、こういうことなんです。そして、受け取っていないと、もったいないことがたくさん起こるのです。

 

ひとつめ。

お友だちは、「いつもやさしいね」って褒めてくれました。感謝も入っていたかもしれませんね。これは、あなたに差し出された、素敵なプレゼントだったとしたら、あなたは、ちゃんと受け取ったでしょうか。興味なさそうにしていませんでしたか。

差し出されたプレゼントは、あなたのためのもの。

「ありがとう」って、大喜びで受け取ってあげたいですよね。きっとお友だちも、大喜びです。

 

ふたつめ。

あなたの中の「やさしさ」を役立てるということが、しにくくなってしまうんです。だって、あたりまえで、無関心だから、あるのやらないのやら、認識ができないからです。

でも、「あれ、私、やさしいんだ!」って、受け取ることができると、あるって認識できていますから、「やさしい」が発動したとき、自信が持てます。誰かを笑顔にする「やさしさ」を実感でき、役立てることができるんです。

 

そして、感謝された時、その感謝も受け取れるようになります。

やさしくされた方も、したあなたも、うれしいですよね。

「持っている」ものは、ぜひ「受け取って」おいてくださいね。

 

受け取り続けること

 

私自身、この「受け取る」ということを意識することが、ここ数年とっても多くなっています。

逆をいうと、受け取ってなかったものがいっぱいあったー、あちゃーってことなんですけれど。

 

それは、有形無形、どちらもたくさんあって、すでに持っている物も、もう一度、あーありがたいーって受け取ることになったり、誰かの祈りや、願ってくれたことを、あーありがたすぎるーって、遅ればせながら、受け取ることになったり。

 

もう天国にいる人からのものや、会ったこともないご先祖さまのものも・・

 

そうやって思いはじめると、受け取るものが、空からたくさん降ってくるような気がして、あわわわ、全然受け取れきれませんってなるんだけど、がんばってしないといけないと思うのは、「受け取り続ける」ということ。

 

ダダ漏れしていて、気づき損ねているものも、ちゃんと気づく機会があるはずで、その時しっかりと受け取っていきたいと思っています。あなたのところにも、同じことが起こっていますから、一緒にがんばりましょうね。

 

今日は、空っぽどころか、いっぱい持ってるので、受け取ろうというお話でした。ぎゃふん、ですね。笑

 

おつきあいいただき、ありがとうございました。

お役に立てることがあればうれしいです。

 

 

池尾千里

 

 

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